授業の課題
1年生向けの授業の情報処理Iで、Web 検索の練習の課題に「日本のCGプロダクションを3つ探せ」というのを出してみました。目立った解答をひろってみると、こういう具合になりました。
これらが(彼らの探し方で)検索によく引っかかったということですが、これらより数は少ないものの、
なども挙っていました。この他には次のようなものがありました(全部ではありません)。
これは 2004 年の記事です。
CG プログラマの居場所
授業とは全く関係ないのですが、このリストを見ているうちに、私はふと「CG プログラマ」の居場所って今の日本にどれだけあるんだろうかと考え込んでしまいました。もちろん製造業やゲームソフトメーカーなど、CG プログラマの技術が活かせるところはムービー制作以外にもたくさんあります。でも上のリストの中で自社で技術開発やソフトウェア開発を行っているところは、(CG プロダクションというよりソフトウェアハウスの) ネメシスさんくらいしか無いようです。こういった CG ムービー制作の現場では、もう CG プログラマは必要とされていないのでしょうか。MEL プログラマくらいは需要があるみたいですが…
昔話
日本の商業 CG の黎明期には、JCGL をはじめトーヨーリンクス、SEDIC といった CG プロダクションがありました。他に CG 専業ではありませんが、白組, アニメーションスタッフルーム, そして少し遅れてオムニバスジャパンなども CG の制作を始めていました(20 年も前の記憶で書いているので、間違っていたら教えてください)。しかし、当時は Maya のような完成したパッケージソフトはほとんどありませんでしたから、どこも CG ムービーの制作と同時に多少なりとも技術開発やソフトウェア開発を行う必要がありました。中にはトーヨーリンクスのように、LINKS-1 という (大阪大学由来の) CG 専用コンピュータの開発も行っているところもありました (ネメシスさんはトーヨーリンクスのスタッフの方が設立された会社のようですね). だから私には、CG の制作現場に CG プログラマがいるのは当然という認識がありました。 ところが、安価で高性能なワークステーションやパソコンが登場し、その上で動くパッケージソフトが流通するようになると、JCGL やトーヨーリンクスなどの老舗は、徐々に後発の CG プロダクションにコスト面で対抗するのが難しくなってきました。そして気がついたときには、どこも同じようなパッケージソフトを使って CG を作るようになっていました。こうして「CG プロダクションは技術開発をするもの」という私の認識は、時間の流れに押し流されてしまいました。 それでも CG WORLD に掲載されている優れた記事を読んでいると、この技術の発展に情熱を注いでいる方が未だ少なくないことに勇気付けられます。しかしその一方、求人欄で「Maya 使い」や「3ds max 使い」しか求められていない状況を見て、再び現実の厳しさを思い知らされてしまいます。 でもね、CG プロダクションが技術開発を行うことは、本当に困難なのでしょうか。確かに Maya のようなソフトウェアを自前で用意することは、コスト的に見合わないとは思います。でも、どのプロダクションも同じことしかできないなら、どうやって他所と競争していくのでしょうか。抱えているクリエータの才能でしょうか。クリエータの才能って企業の「知的財産」にはなりにくいですよね。企業側もクリエータを、その能力を買い取る形の「契約社員」の立場に据え置いていたりします。そうすると、後は結局コスト競争になってしまうのではないでしょうか。そうしたら、もう先は見えてますよね。仕事の発注先を、何も日本国内の CG プロダクションに限る必要はないのですから。
日本の PIXAR はどこ?
ここまで書いてもうひとつ気づいたことがあります。日本の CG プロダクションのうち、自分で作品全体のプロデュースを行うところはどのくらいあるのでしょうか。ジブリや I.G. などは、それらが CG 技術に積極的にコミットしているとしても、ここでいう「CG プロダクション」に分類されるものではないでしょう。そうすると CG 制作を看板に掲げている日本の多くのプロダクションは、結局どこかが発注した CG 制作の下請けに甘んじているところが多いような気がします。まあ、海外でも自分でフル CG ムービーをプロデュースできる PIXAR は稀な例なのかもしれませんが…
そういえば、かの LINKS-1 の開発者である大村皓一先生が、2年くらい前の講演の中で次のようなことをおっしゃっていました。曰く「当時の日本の CG 関係者は、CG の制作だけがしたかったために、作品全体の制作を手放してしまった」と。確かに当時の CG プログラマは、アイデアが次々に新しい表現として具体化されていく快感に酔いしれて、それによっていかに人を楽しませるかという意識が希薄だったような気がします。つい最近も、高い技術を誇りながら興行的には失敗してしまった国産のフル CG 映画がありましたが、今でさえ日本の技術者的 CG 人には (あえて CG プログラマとは言わない), 個別の技術や表現に眩惑されて作品全体を眺めるときに肝心なところに目が届かないという傾向があるような気がします。 当時の日本の CG 人にも、PIXAR を創業した Catmull 氏と同様「いつかはフル CG 映画を」という思いがありました。しかし、PIXAR が CG 制作を「請負仕事」とすること拒みつづけ、PIXAR 自身を非常に優れたブランドとして確立することに成功したこと (このあたりの話は大口孝之氏が 1999 年 2 月〜 6 月に日経 CG に連載された記事に詳細にお書きになられています) とは対照的に、日本の多くの CG プロダクションが下請け仕事に甘んじ、その仕事すらも失いつつあるかもしれない現状には、やはり悔しさを感じずにはいられません。
Jobs はどこ?
でもこれは、CG プロダクション側だけに責任があるとは思いません。PIXAR ですら、ここまで来る道程は平坦ではありませんでした。しかし、そこには Disney や Steve Jobs という存在がありました (これも大口氏の記事参照). 翻って日本の状況はどうだったんでしょう。そこまでは私は知りません。でも、当時の CG 雑誌 PIXEL (「図形と画像」改題) の記事の多くは、CG というより CAD/CAM 関連のものでした。そしてそこから私は、「製造」こそ技術開発の努力を傾けるべき対象であるとして、エンターテインメントすなわち「遊び」の素材である CG について真面目に議論することをはばかる雰囲気を (わずかながら) 感じていました。 結局、日本の CG に投資しようとは、当時誰も思わなかったんでしょう。日本に Steve Jobs は現れませんでした。ハリウッドというバックグラウンドを持たない日本の映像業界では、きっとそれは正しい選択だったんだと思います。また PIXEL も日経 CG も休刊してしまいました。あと少しがんばっていれば、今の CG の大衆化の波に乗れたかもしれないのにと思います。今 CG WORLD を読んでいると、「ああ、PIXEL 編集長だった河内隆幸氏は、本当はこういう雑誌が作りたかったのかなぁ」なんて思ってしまいます。
自分について
なんだか偉そうなことを書いてしまいましたけど、私自身はこの世界を横目で見ていた通りすがりの人間でしかありません。実は当時、これらのほかにもうひとつ CG プロダクションがありました。トーヨーリンクスの親会社だった東洋現像所 (現イマジカ) は、トーヨーリンクスとは別に「アクメシステム」と呼ばれる CG 部門を持っていたのです。
トーヨーリンクスが並列コンピュータの LINKS-1 を使ってレンダリングに (時間がかかるとされる) レイトレーシングを使っていた (SEDIC もスーパーコンピュータの Cray-1 を使ってレイトレーシングしていたことがあった) のに対し、アクメシステムでは VAX-11 上で MOVIE.BYU をベースとしたシステムを使い、スキャンライン法によってレンダリングしていました。このメリットは、言うまでもなく「ターンアラウンドの短さ」にあったように思います。
そして私は大学からここに2ヶ月の実務訓練 (今で言うインターンシップ) に行ってました。実務訓練終了後も、長期休暇にはここでアルバイトさせてもらっていました。ここのデザイナの Gil さんという方が描いてくれた自画像が着ている上着は、東洋現像所 (Far East Laboratory) のユニフォームです (肩口に “FEL” と書いてあります). 私の原点はここにあります。今は OpenGL のページなんかも書いてますけど、頭の中はいまだにスキャンライン法なんです。

ここで私は尊敬する CG エンジニアや CG プログラマの方々に出会うことができました。ナブラの小高氏、ビノアズールの町田氏、ネログラフィックスの塚田氏、フジテレビの伊原氏など、今でも第一線で活躍されておられます。私は彼らを師として仰いでいました。その意味でここは、私にとってもうひとつの「学校」だったのかもしれません。そういえば CG-ARTS 協会の JCGL 出身のスタッフも,「JCGL は解散しちゃったけど、今思えば、あそこは学校だった」とおっしゃっていました。前出の大口氏も JCGL 出身ですね。
さいごに
ジブリや I.G. などが国際的に高い評価を得るに至った今、今更日本の CG プロダクションがあえて PIXAR を目指す理由や動機はもう無いのかもしれません。そして、それらのほとんどが外国製の CG ソフトで制作している状況では、もう私のような CG プログラマが入り込む余地は無いんでしょう。しかし、あの頃には確かに PIXAR のようになろうとしていた CG プロダクションが、いくつも存在していました。そして、そこから巣立った人の多くが今も日本の CG を支えているとすれば、やはり今の日本にも PIXAR や PDI (DreamWorks SKG) のように積極的に技術開発を行う CG プロダクションが成長できる環境が必要なのではないでしょうか。 小高さんのナブラや町田さんのビノアズール, そして安生さんのいるオー・エル・エム デジタルのようなところが、今後も発展していくことを期待しています。